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なうひあdiary

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ゼロ円で生きる 小さくても豊かな経済の作り方

2018/05/02(Wed) 11:01
『0円で生きる 小さくても豊かな経済の作り方』(鶴見済著/新潮社)

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この本はやっぱり図書館で借りなくちゃ、とリクエストしたらすぐに買ってくれた
まっさらな新刊をゼロ円で読む方法

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貰う(無料のやりとり)
共有する(シェアリング)
拾う
稼ぐ(元手ゼロ円で)
助け合う
行政から貰う(公共サービス)
自然界から貰う

など、具体的なゼロ円生活の方法を紹介しつつ、“お金儲け至上主義”になってしまった現代資本主義の問題点や、
自給自足と贈与経済、現物経済など、資本主義より長い歴史のあるさまざまな経済のかたちにふれ、
お金への依存度を低くする生き方を提案している。

人間の経済の基本的な形は「互酬」「再分配」「市場経済」の三つで、それぞれ混ざり合いながら存在してきたはずなのに、
現在の資本主義の社会は市場交換の比重が大きくなりすぎているという

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でも、もともとお金をあまり使わない社会では、お金を持っていなくてもあまり関係がない。

♪金がないなら海にが行くさ 魚があれば生きられる♪

とビギンも歌っているように、豊かな自然が近くにあればその恵みをいただいたり、
何かを作りすぎたり獲れすぎた人からおすそ分けをいただいたり。
そこにあるのはお金ではなく、自然や他人との直接的な関係だ

しかし本書では、贈与経済の難しさについても述べている
贈ったり贈られたりの人間関係は一朝一夕では築けないし、もらいっぱなしでは気がひけるのでお返しを考えなくてはいけない。
相手がお返ししきれないほどの贈り物をして見栄を張り、相手の面子をつぶそうとする部族の習慣があったり
賄賂で相手を思うように動かそうとしたり
義理チョコなど仕方なくお金を使うような、企業戦略に乗せられてしまった習慣もある

たしかに自分が欲しいものがあるとき、それを持っている人にただで「ください」とはなかなか言いにくい
それが売られていて、お金を出せば遠慮なく買って手に入れられるというのはありがたい
そういう面では、お金はとっても便利だけど…

「お金を稼いで消費する」ことが中心となる社会では、一番お金を稼ぐのが上手く、お金を持っている者が一番大きな力を持つ。それは誰かといえば、人ではなく企業だ。大企業の正社員になりたくさんお金が貰えれば幸福な人生だといわれる。



今の日本はお金への依存度がとても高い社会なので、大企業がお金の力で政府に対して要求を通し(法人税を下げて消費税を上げ、派遣法から働き方改革、種子法廃止など)、大企業が儲かるための社会になってしまっている
倫理に照らしてみたら、どう考えてもおかしいでしょ?  というような政策や法案が次々と通されていく
生きにくいと思うのは、著者や私だけではないはずだ

先進国G7のうち、日本だけが、事故で死ぬ人より自殺で死ぬ人のほうが多いらしい。しかも事故より自殺が二倍以上多いとか。

著者は東大を卒業しながらも、「頑張って働いてお金を稼げ」という風潮に生き難さを感じ、
アンチテーゼとして『完全自殺マニュアル』を執筆、出版。
ほかに『脱資本主義宣言――グローバル経済が蝕む暮らし』などの著書がある。
現在のお金を介した経済だけが普通ではないと客観視して、小さな経済の現代版をみんなで作りたい
という目的で、『0円で生きる』を書いたという

「0円生活」で居場所見つける 脱・お金依存の先にあるもの

このインタビュー記事を読んで、ある人のことを思い出した
以前からその人のブログが気になって、ちょくちょくのぞきに行っている「寝太郎」さんという人
山林や河川敷の小さな土地を購入し、自分で小屋を作ったりテントを張ったりして、
なるべくお金をかけず、多くの時間を自由で孤独な思索のうちに過ごしている

ソローの『森の生活』を、現代の日本で実践しているような人だ

やはり東大卒で現代社会に生き難さを感じ、低消費生活を模索。本も何冊か出している

寝太郎ブログ


現代の資本主義の世の中に対して「何かおかしい」とひっかかっているなら、ぜひ。
『0円で生きる』は、5/9以降なら石垣市立図書館にあります(もっと早く返すかも…)











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海辺

2017/08/22(Tue) 11:56
大崎のガレ場を泳ぎながら、2008年のいちめんサンゴを思い出していた~大崎で日暮れまで
2007年の白化を生き延びたサンゴたち…

2012年も、まだなんとか持ちこたえていた~大崎ハナゴイリーフ

2016年、ダメだー~Meet ハナゴイ♪

近視眼的な人間目線から少しでも地球のスケールに近づきたくて、レイチェル・カーソンの『海辺』を読み返す

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『沈黙の春』や『センス・オブ・ワンダー』が有名なカーソンは、詩情ゆたかな海洋生物学者だった
アメリカ政府の魚類・野生生物局で、出版物の企画・編集・執筆の仕事に就いていた
退職後、海や海の生物についての著作を出版
『海辺』はその三作目だ(1955年)

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挿絵は公務員時代の同僚で親友だったボブ・ハインズによるもの
今のようにテレビやネットで映像が見られない時代、
丹念な観察に基づいたカーソンの端正な文章とモノトーンの精密画が、海や海の生物の魅力を存分に伝えた

文学と科学、両方のこころを併せ持っていたカーソンは、
客観的な観察による冷静な思考と実感のこもった深い感動をあますところなく書きあらわし
生物と地球を包む本質的な調和」についてひもといてくれる


海辺は古い古い世界である。
なぜならば、大地と海が存在するかぎり、つねに海辺は陸と水との出合いの場所であったからである。
いまでもそこでは、絶えず生命が創造され、また容赦なく奪い去られている。
私は海辺に足を踏み入れるたびに、その美しさに感動する。
そして生物どうしが、また生物と環境とが、互いにからみあいつつ生命の綾を織りなしている深遠な意味を、
新たに悟るのであった。   




夜の浜辺で「人類が出現する以前からの古い世界の闇」を感じ、一匹のスナガニを見て「生存の本質を理解した」というカーソン
風化しつつある小さな貝殻に、一世紀ほど前、その岸辺にたくさんいたフラミンゴの餌だったことを思い
今は見られないフラミンゴたちの姿を憧憬する



地球の生命からいえば、彼らがそこにいたのは、つい昨日のことであった。
自然界では、時間と空間は互いにかかわりあっており、
こういう魅惑的な場所を訪れる時間を持つことで触発される洞察力によってこそ、
時間と空間は具体的に認識されるのである。


海辺は、生命の出現以来今日に至るまで、進化の力が変わることなく作用しているところであり、
この世界の厳しくも壮大な現実に直面している生きものたちの様相が、はっきりと見えるところなのである。


          (序章──海辺の世界  より)




カーソンが思い出させてくれる、地球の時間
白化したサンゴは砕片となって波に洗われ、寄せては返し、白い浜辺を作ったり、バラス島をつくるのだろう
あるいは海水に溶け出し、新しいサンゴが骨格を形成する元となる、カルシウムとなる
もしくは将来氷河期が訪れて海水の多くが凍ったら、海岸は大きく後退し、
今サンゴ礁である石西礁湖も干上がって、いちめん陸地になってしまうかもしれない



気も遠くなるような月日が過ぎ、何世紀もの年月が絶えることのない時の流れに溶けこんでしまっても、
サンゴ礁やマングローブの湿原は、誰も知らない未来に向かってつくられていくだろう。
しかし、それらが陸になるか、また海に戻っていくのかを決めるものは、
サンゴでもマングローブでもなく、海それ自身なのである。




だが人間は、宇宙から地球を眺めている傍観者ではない
地球の生態系の一部であり、計り知れない影響力を持っている

「海は今日も、干満のリズムをくり返している。しかし、海は喘いでいる。愛すべき小さな生きものたちの上に、
私たち人間は汚染というかつて経験したことのない過酷な条件を押し付けているのではないだろうか。
長い地球の歴史の中を、かれらは生き抜いてきた。
いま、人間が行ないつつある地球規模の汚染は、強靭なかれらの生命力をも、
回復不能なまでにいためつけてしまうかもしれない。」

と訳者の上遠恵子さんも警鐘を鳴らしている

カーソンの時代にはまだ想像もできなかったであろう、海のプラスチックゴミ
ノルウェー入り江に迷い込んだ病気のクジラ、胃の中はまるでゴミ箱。大量のプラスチックを発見
岸に戻ってきにくく、膨大な量が海に漂いたまっている可能性がある、細片化したマイクロプラスチック汚染
野生生物に異常をもたらす、化学物質の内分泌かく乱作用


プラスチックや日焼け止めの使用を全否定はできなくても、自然環境に影響のないようにすることはできないものだろうか…













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月の力

2017/06/13(Tue) 10:01
1年でいちばん小さくなる満月ストロベリームーンの日 ふと目覚めた午前四時の月の彩雲
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刻々と姿を変える雲から目が離せない
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満月のときは地下水位が上がっているので、地表面近くまで土が濡れて種が吸水を始めるらしい

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また、発芽するのに光を必要とする好光性種子(にんじんやバジルなど微細種子の多く)が必要としているのは月光で
月明かりのあるほうが発芽率が上がる
さらに月光には、種子を病気から守る力もあるらしい

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また、満月のときは太陽・地球・月という並び順になるので、月の引力と太陽の引力が均衡し
根が張りやすくなる
新月のときは太陽・月・地球という並び順になり、太陽と月が同じ方向に引っ張るため地表面に対する引力が強く、
根が張る前に芽がひょろひょろと伸びてしまいやすくなるとか

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収穫も同様で
葉野菜や根菜類は、作物の水分が葉に行き渡り、地表面に地下水が上がっている満月のときがよく
水分が減ったときのほうがおいしくなる果菜類は新月のときがいいらしい

そうはいっても、育ち具合や天気、気温、人間の都合が優先してしまうかなぁ…


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                    『無肥料栽培を実現する本』(岡本よりたか著/マガジンランド)







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漢字~東洋の血脈

2017/05/24(Wed) 17:09
台湾のMVを見ていると中国語の字幕が出る
中国語は聞いてもさっぱりわからないけど、並んだ漢字を見るとなんとなくイメージが伝わる
台湾に行ったときも、「なんちゃって筆談」でだいたい通じた

漢語はアジアの共通言語で、「文字文化を回復することが東洋の平和につながる」とおっしゃっていたのは
漢字学者の白川静さん

<平和と民主主義>白川静さん 野の心のまま志士のごとく憂え=2004年12月
(会員登録すれば、月数ぺージは無料で読める)

この記事、2004年にインタビューされたものだけど、今の時代にハマりまくり…当時よりもっと悪い状態になっている


「アジアが大ねじれにねじれているのは、日本が英米の侵略戦争のまねをして日清、日露以来、戦争を繰り返したからだ。~その戦争が終わって、一切はアメリカ式になった。」

「春秋の筆法で言えば、これを附庸(ふよう)という。属国のことだ。
同盟という言葉でごまかしているが、首都の近くの空港を彼らが使っておって、
首都の入り口の軍港を彼らが使っておって、こんな同盟がどこにありますか。
日本もアメリカに対して同じことをやっておれば同盟です。
実はつけたしの国、アメリカプラスワンです。極めて不名誉なことです。
都を攻め滅ぼされて、城下で講和を結ぶ、これを城下の盟(ちかい)といいます」



先生がこの世を去られてから11年、
属国の基地があちこちに造られつつあり、治安維持法まがいの法律がふたたび暗い影を落とそうとしていて、
戦争放棄をうたった憲法が変えられようとしていることをお知りになったらいかばかりか…


「かつて東アジアの世界は理念的にひとつであった。それを私は東洋と呼んでいる。
その血脈をなすものが漢字である。
それがいま、分裂している。政治の分裂がそのまま文化の分裂に反映している。
日本語も朝鮮語もベトナム語も、半分以上、漢語です。
統一した漢字を使えば、これは容易に意思疎通(注・本来の字は疏通)できる。
東洋を回復したい。古典が読めないのは歴史を切り断つことである。
そういうところでは本当の平和は生まれん。文字文化を回復することが東洋の平和につながる」

現在の漢字文化圏、本字は台湾のみ、日本は字数と音訓の用法を制限し、
中国大陸は略字、韓国はハングルが主流、ベトナムはローマ字化されている。
漢字文化圏の実態はかくもばらばらである。




先生がひとりでお書きになった辞書、気になる漢字に出合うと開いてみる
『白川静 常用字解』
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漢字の成り立ちがとてもおもしろい

上の表紙になっている字は「口」 
もとは神への祈りの文である祝詞を入れる器の形とか

また 「夏」 という字は、舞楽用の冠をつけ、両袖を振り、足を前に上げて舞う人の形からできた字
季節の名前の「なつ」の意味に使うのは春秋期以来で、いちばん古い使用法ではないとか
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ツイッターアカウント 白川静 @sizukashirakawa   もおすすめ~









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三月ウマチー

2017/04/11(Tue) 13:49
旧暦3月15日、三月ウマチー

もとは麦の収穫儀礼を行う日
他の農作物の収穫を祝うものであったり、海上安全・大漁をあわせて祈願するところもある
麦ミキ(神酒)など麦を供え感謝の祈願を行う
                             (ウマチー より)




ささやかな感謝の祈りを捧げに行くと、朝の山はとってもいい香りがして、アカショウビンが迎えてくれた


そして今朝は、この本を読み終わった

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鈴木秀子さんは、ずいぶん昔にエニアグラムの本を一冊読んだ覚えがある
そのときは、敬虔なカトリックのシスターであることも意識にのぼらず(プロフィールに書かれてあったのかもしれないけど)、
ましてや臨死体験ののちに癒しの力を託されたということも知らず
最近になって「のびやかな暮らし」というブログで知った

図書館にあったので借りてきて読んだが、手元において何度でも読み返したいほど
大切なことがたくさん書いてあった
(アマゾンで見ると、今は三笠書房から文庫化されている)

秀子さんは、聖心女子大を卒業後、一生を神に仕えると決意し、修道院へ
そこで8年間の「沈黙の行」に入る

食事のときはお皿の先を見てはいけない
歩くときは自分の1m先しか見ない
人に会っても誰にも目を向けない
虫に刺されてかゆくても掻いてはいけない…

と、徹底的に五感をコントロールする訓練をする

修行が進むと、言葉の沈黙から「頭の沈黙、心の沈黙」へと及ぶ
雑念を払い、自分を無にし、神に心を揚げる、その一点に集中する
自然と頭に浮かんでくる思い出や空想にふける楽しみも排除しなければいけない
文字も見ることは許されず、見てよいのは聖書と修道会の会則だけ

そうして五感の楽しみをすべて取り払い、神様は私たちを愛し抜かれているということだけを
頭の中心の「脳幹」で思いめぐらしつづけていると、人間の中のもっとも鋭い直感が研ぎ澄まされていく
美に対しても、想像を超えるほど敏感になっていく
いっしょに修行をしているほかの修道女たちが、どんな素晴らしいものを性質のなかに持っているかということも
話を一切しなくても気配で理解できるようになる
感覚を抑制するということは、本物に対する目を養い、本質を見抜く力を養っていく訓練であった




わたしも二年半、ひきこもってジョーさん以外の人とはだれとも会わず
本も読まずパソコンも見ずに、ひとりの時間を過ごした
自分の意思で始めたわけではなく、仕方なくそうなってしまったわけで、もちろん祈りなど意識にものぼらない
なぜこんなことになってしまったのか、両親をうらんで、自分を責めて子供泣きし
繰り返し寄せてくる後悔の波にたゆたっていたのだけれど
だんだん涙も枯れてくると、両親から向けられた思いみたいなものが不思議と実感できるようになった
母は祈りの人なのだが、その祈りがどんなに有難いものであるかということが、あるときからはっきり感じられるようになった
最初の頃は、そばにいて抱きしめてあたたかい言葉をかけてくれないならば、どんなに祈ってくれても意味がない、と思ったりした
でも、たとえ離れていても、その思いにどれだけ守られているのか、なぜかわかるようになった
ジョーさんのお母さんも祈りの人だった そしてジョーさんも守られている


鈴木秀子さんは、死を目の前にした人たちのもとを訪れ、話を聞き、祈っている

実業家として順風満帆の夫が末期がんと告げられた奥さん
豪華な家も調度品もすべてが色あせ、世の中が灰色一色になってしまう
残された年月を素晴らしい思い出にしようとふたりで旅に出て、絶望や怒りを通り抜けて心を通わせ
生きる力を与えてくれるのは物を越える大切なものだと、価値観が一変する
夫の死後は春夏秋冬の札をはりつけた4つのスーツケースにそれぞれ最低限必要なものをつめて
小さなマンションに引越し、難民を支援するボランティアの組織を作って仕事に打ち込んでいる

同じく末期がんとわかった舞台女優さんは、病気をきっかけに疎遠になっていた母親と許しあい、癒しあう


死にゆくひとのもとへ行き、そのひとのからだに手を当てて祈ると
ふとした瞬間から深いレベルに入っていく、と鈴木秀子さんはいう
頭で割り切ることのできないこと、顕在の意識では考えつかないようなことが起こるのだと

手を当てているときに感じる一体感は、もう彼岸に行ってしまっているような感覚です
死にゆく人も、此岸と彼岸を行ったりきたりしている
ふたりで彼岸に受け入れられ、此岸では考えられないような交流ができるのでしょう
病気が治ってほしい、痛みが治ってほしいという考えすら一切が消え、
のびのびした自由な、やすらかな世界なのです

人間の命は自分だけのものではない、深いところでみんなつながりあっている
すべての人たちが、深い愛によって無意識のうちに強い絆で結ばれている
そんな一体感をからだの中枢で味わうことができます

宇宙飛行士の体験や私の臨死体験を思うと、
おそらく死ぬときは皆そういう体験をするのだと
私は確信しています

人は自分が死んでいくことを知るときには、
今まで生きてきたのとはまったく違った視点から「いのち」を見直す
「生の本当の姿」をかいま見せ、生きていく根源が愛であることを示してくれる
自分が悟るのを、死ぬときまで待たないで、今この瞬間「愛に根ざして生きる」ように促してくれるのです




この間、たまたまテレビで見た小林麻耶さんのインタビュー
家族いっしょに散歩をしたり、ご飯を食べる、そんな普通のことがどれだけ有難いことかということがわかった
妹とは、未来の話は一切しない
今、点滴を打っています、今、ご飯を食べられています
その一瞬一瞬が、ほんとうにありがたくかけがえがない

というようなことを話していた

病気を通して気づく、生きるということの本質
小林麻央さんはブログを通して、その気づきを共有してくれている



47年間眠りを奪われた女性の話も興味深かった
夜になると気分が悪くなり、どうしても眠れずに本を読んだり編み物をして過ごすという年月が、47年間
何がつらいって、肉体的な苦しみよりももっと深い、孤独という苦しみがつらかったとか

人は寝ている間に深い意識を超えた世界に入る
エゴの世界から離れた、単に人間としての存在の世界
皆が同じ状態で、眠りを通して共通の「命」を生きる
そこには命のつながりがあって、皆が無意識の中であたたかい思いを交換しあっている

よく眠れた朝は、どの人も蘇ったようにはつらつとして目覚める
魂の栄養を、眠っている間に、無数の人びとと分かち合っている




また、人は大自然のなかで生かされている存在である ということも書かれてあった

北海道に「ニドムの森」を作った人の話
絵本になった『木を植えた人』の話


自然は人に、命の源である活気を与え、疲れた人を蘇らせる
自然と人は、ともに慈しみあい、調和して生きている
気の分かち合いもそこから生まれる

一本一本の木に必要な条件を知って、必要なものを与えていると
木たちはいい“気”を人間に与えてくれる

人は、人だけで生きているわけではなくて、大自然のなかで生かされている存在なんです



昨日、FBで知った、伊豆高原メガーソーラー計画

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社員15名の東京の会社が、東京ドーム10個分の広さのソーラー・パネルを敷設するため、森林を伐採し、山を削るという
たった15名の利益追求のため、大規模な土砂災害や環境破壊を引き起こすかもしれない
動植物や海の生物、地域の人たちの精神面や生活、観光、漁業などの産業に影響を与えるかもしれないというのに

石垣でも豊かな自然を壊して、リゾートホテルつきのゴルフ場や、自衛隊の基地を作ろうとしている
経済優先の考えしかなかったら、無数の生き物たちがいきづく山も森も、
線を引いただけの、のっぺらぼうな白地図にしか見えないのだろう


農業や漁業を生業とし、自然の恵みによって生きていることを肌身で感じていれば
自然と神に感謝し、祈りを捧げたくなる

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森のなかで静謐につつまれるとき、あたたかな海に浮かんでいるとき
木陰でそよ風に吹かれているとき、家族や友達とくつろいでいるとき

そんなふとした瞬間に幸せを感じるのは、自然や人と調和し、気を分かち合っているから
それが生きていく力になると、鈴木秀子さんはいう


日々の生活の中で、神から命を与えられている自分という存在を大切にし、
他者を大切にし、他の人の幸せを祈り、そのために力を尽くすとき、
私たちは、小さい人間を通して働かれる神の超自然の力を感じます

それこそ、魂を蘇らせ、人生を統合し、人生に意味を見出す神秘体験です





大いなる超自然の力に祈りを捧げる

三月ウマチーの日に








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