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なうひあdiary

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『文化人類学の思考法』

2019/08/13(Tue) 18:33
「あたりまえ」と思っていることは、ほんとうにあたりまえなのか?
学校教育やテレビ、新聞によって日々刷り込まれている常識は、
違う時代、違う土地では非常識だったりするのに、
違う考え方ややり方があるのかも、ということすら想像もできず
ただ流され、盲従し、生きにくいままに生きているのでは?
そんな「思い込み」に気づくための思考の道具、それが文化人類学である、という本。

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1 自然と知識
2 技術と環境
3 呪術と科学
4 現実と異世界
5 モノと芸術
6 贈り物と負債
7 貨幣と信用
8 国家とグローバリゼーション
9 戦争と平和
10 子どもと大人
11 親族と名前
12 ケアと共同性
13 市民社会と政治

以下、本文より抜き書き

文化人類学では、フィールドワークを通して対象にできるだけ近づき、五感を働かせてものごとを理解しようとする
同時に「遠さ」のなかで思考する 地理や時間
調査対象の「近さ」と比較対象の「遠さ」
この距離が、固定観念を壊し、狭く凝り固まった視野を大きく広げる
世界の別の理解に到達するための可能性の源泉

「未開」とされてきた人々の呪術に関する理論は、現代の私たちの健康や美についての新年とそれほど違わない
なぜあるものが芸術になったり、芸術でなかったりするのか
その背後には、芸術品とは生活のなかの実用性からかけ離れた高尚な世界だといった思い込みがある
近代社会が前提としている「あたりまえの線引きを根底から問い直し、
芸術品とされるモノと、そうとは考えられていなかったモノとを比較することで初めて、芸術とは何か、美とは何かを考えることが可能になる

文化人類学は比較を通して、自分たちがいったいどんなことを「あたりまえ」として生きているのか、私たちが生きるこの世界のあり方をとらえ直す

生きる時代や土地によって異なる常識や価値観
「だってそう決まっているから」「それが常識でしょ」という凝り固まった考えに対して
「こんな方法や考え方がある」と、さまざまな側面から「あたりまえ」をゆるがすことができる
その思考の道具が文化人類学の理論

私たちにはたったひとつの現実世界しかありえないのではなく、あたりまえを問い直すことによって
まったく別の現実を生きることもできる、という可能性を示す

国家のない社会は遅れていて不完全なのか?
国家のないとある南米先住民社会は、むしろ国家の発生を積極的に妨げようとする「国家に抗する社会」ではないのか
そこでは集団は首長の権力を否定して、命令する/される関係ではないことを繰り返し思い出させようとする
"国家を拒否し、権力によるヒエラルキーと格差を排除し、「生き方」として平等性を選び取った社会"として見えてくる

世界中では多くの少数民族が、国家の統治を逃れて周辺部で「国家のない社会」を維持していた
国民国家という概念、「想像の共同体」は、新聞が流通して人々がニュースを共有するようになった結果として歴史的にあらわれてきたものであり、その確かさはゆらいでいる
人権、貧困、先住民の権利、災害援助、環境正義、ジェンダーの平等など、さまざまな問題に取り組む非政府組織が、国境を越えたネットワークを形作り、「草の根のグローバリーぜーション」を展開、国境なきデモクラシーを実現しようとしている

古代の税の背後には、最初の収穫物である初物を神仏に納めるものだという信仰があり、神への贈与としての「租」や「調」が10世紀後半ごろまでに「官物」といわれる地税に統合され、神への捧げ物という性格が失われた
本来神への捧げ物は、多産や豊穣といった生命活動の源である神聖な力に対して人々が示す「恭順」の意だったが、この宗教的な儀礼を司る王が神聖な力を横領し、政治権力とした

南部アフリカの狩猟採集民の子どもは、家事や生業活動に貢献するよう求められることはほとんどなく、遊びをつうじて狩猟採集に必要な技術や知識を身につける
いかなる仕事も強制されず、その必要もなく、遊びの原理に貫かれた社会像

仕事は主体的におこなったときは遊び、強制的にさせられたときは労働へと近づく
狩猟採集以外を生計の糧として選び、さらに産業化を進める過程で、遊びを余暇という狭窄なカテゴリーに追いやり、労働(詰め込み型の学校教育や生産性の論理で管理された仕事)に支配されるようになったのかもしれない


固定観念やあたりまえを疑えるように、アタマをしなやかにキープしておきたい
この本も、石垣図書館に買ってもらいました。いつもありがとうございます。







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ゼロ円で生きる 小さくても豊かな経済の作り方

2018/05/02(Wed) 11:01
『0円で生きる 小さくても豊かな経済の作り方』(鶴見済著/新潮社)

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この本はやっぱり図書館で借りなくちゃ、とリクエストしたらすぐに買ってくれた
まっさらな新刊をゼロ円で読む方法

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貰う(無料のやりとり)
共有する(シェアリング)
拾う
稼ぐ(元手ゼロ円で)
助け合う
行政から貰う(公共サービス)
自然界から貰う

など、具体的なゼロ円生活の方法を紹介しつつ、“お金儲け至上主義”になってしまった現代資本主義の問題点や、
自給自足と贈与経済、現物経済など、資本主義より長い歴史のあるさまざまな経済のかたちにふれ、
お金への依存度を低くする生き方を提案している。

人間の経済の基本的な形は「互酬」「再分配」「市場経済」の三つで、それぞれ混ざり合いながら存在してきたはずなのに、
現在の資本主義の社会は市場交換の比重が大きくなりすぎているという

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でも、もともとお金をあまり使わない社会では、お金を持っていなくてもあまり関係がない。

♪金がないなら海にが行くさ 魚があれば生きられる♪

とビギンも歌っているように、豊かな自然が近くにあればその恵みをいただいたり、
何かを作りすぎたり獲れすぎた人からおすそ分けをいただいたり。
そこにあるのはお金ではなく、自然や他人との直接的な関係だ

しかし本書では、贈与経済の難しさについても述べている
贈ったり贈られたりの人間関係は一朝一夕では築けないし、もらいっぱなしでは気がひけるのでお返しを考えなくてはいけない。
相手がお返ししきれないほどの贈り物をして見栄を張り、相手の面子をつぶそうとする部族の習慣があったり
賄賂で相手を思うように動かそうとしたり
義理チョコなど仕方なくお金を使うような、企業戦略に乗せられてしまった習慣もある

たしかに自分が欲しいものがあるとき、それを持っている人にただで「ください」とはなかなか言いにくい
それが売られていて、お金を出せば遠慮なく買って手に入れられるというのはありがたい
そういう面では、お金はとっても便利だけど…

「お金を稼いで消費する」ことが中心となる社会では、一番お金を稼ぐのが上手く、お金を持っている者が一番大きな力を持つ。それは誰かといえば、人ではなく企業だ。大企業の正社員になりたくさんお金が貰えれば幸福な人生だといわれる。



今の日本はお金への依存度がとても高い社会なので、大企業がお金の力で政府に対して要求を通し(法人税を下げて消費税を上げ、派遣法から働き方改革、種子法廃止など)、大企業が儲かるための社会になってしまっている
倫理に照らしてみたら、どう考えてもおかしいでしょ?  というような政策や法案が次々と通されていく
生きにくいと思うのは、著者や私だけではないはずだ

先進国G7のうち、日本だけが、事故で死ぬ人より自殺で死ぬ人のほうが多いらしい。しかも事故より自殺が二倍以上多いとか。

著者は東大を卒業しながらも、「頑張って働いてお金を稼げ」という風潮に生き難さを感じ、
アンチテーゼとして『完全自殺マニュアル』を執筆、出版。
ほかに『脱資本主義宣言――グローバル経済が蝕む暮らし』などの著書がある。
現在のお金を介した経済だけが普通ではないと客観視して、小さな経済の現代版をみんなで作りたい
という目的で、『0円で生きる』を書いたという

「0円生活」で居場所見つける 脱・お金依存の先にあるもの

このインタビュー記事を読んで、ある人のことを思い出した
以前からその人のブログが気になって、ちょくちょくのぞきに行っている「寝太郎」さんという人
山林や河川敷の小さな土地を購入し、自分で小屋を作ったりテントを張ったりして、
なるべくお金をかけず、多くの時間を自由で孤独な思索のうちに過ごしている

ソローの『森の生活』を、現代の日本で実践しているような人だ

やはり東大卒で現代社会に生き難さを感じ、低消費生活を模索。本も何冊か出している

寝太郎ブログ


現代の資本主義の世の中に対して「何かおかしい」とひっかかっているなら、ぜひ。
『0円で生きる』は、5/9以降なら石垣市立図書館にあります(もっと早く返すかも…)











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海辺

2017/08/22(Tue) 11:56
大崎のガレ場を泳ぎながら、2008年のいちめんサンゴを思い出していた~大崎で日暮れまで
2007年の白化を生き延びたサンゴたち…

2012年も、まだなんとか持ちこたえていた~大崎ハナゴイリーフ

2016年、ダメだー~Meet ハナゴイ♪

近視眼的な人間目線から少しでも地球のスケールに近づきたくて、レイチェル・カーソンの『海辺』を読み返す

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『沈黙の春』や『センス・オブ・ワンダー』が有名なカーソンは、詩情ゆたかな海洋生物学者だった
アメリカ政府の魚類・野生生物局で、出版物の企画・編集・執筆の仕事に就いていた
退職後、海や海の生物についての著作を出版
『海辺』はその三作目だ(1955年)

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挿絵は公務員時代の同僚で親友だったボブ・ハインズによるもの
今のようにテレビやネットで映像が見られない時代、
丹念な観察に基づいたカーソンの端正な文章とモノトーンの精密画が、海や海の生物の魅力を存分に伝えた

文学と科学、両方のこころを併せ持っていたカーソンは、
客観的な観察による冷静な思考と実感のこもった深い感動をあますところなく書きあらわし
生物と地球を包む本質的な調和」についてひもといてくれる


海辺は古い古い世界である。
なぜならば、大地と海が存在するかぎり、つねに海辺は陸と水との出合いの場所であったからである。
いまでもそこでは、絶えず生命が創造され、また容赦なく奪い去られている。
私は海辺に足を踏み入れるたびに、その美しさに感動する。
そして生物どうしが、また生物と環境とが、互いにからみあいつつ生命の綾を織りなしている深遠な意味を、
新たに悟るのであった。   




夜の浜辺で「人類が出現する以前からの古い世界の闇」を感じ、一匹のスナガニを見て「生存の本質を理解した」というカーソン
風化しつつある小さな貝殻に、一世紀ほど前、その岸辺にたくさんいたフラミンゴの餌だったことを思い
今は見られないフラミンゴたちの姿を憧憬する



地球の生命からいえば、彼らがそこにいたのは、つい昨日のことであった。
自然界では、時間と空間は互いにかかわりあっており、
こういう魅惑的な場所を訪れる時間を持つことで触発される洞察力によってこそ、
時間と空間は具体的に認識されるのである。


海辺は、生命の出現以来今日に至るまで、進化の力が変わることなく作用しているところであり、
この世界の厳しくも壮大な現実に直面している生きものたちの様相が、はっきりと見えるところなのである。


          (序章──海辺の世界  より)




カーソンが思い出させてくれる、地球の時間
白化したサンゴは砕片となって波に洗われ、寄せては返し、白い浜辺を作ったり、バラス島をつくるのだろう
あるいは海水に溶け出し、新しいサンゴが骨格を形成する元となる、カルシウムとなる
もしくは将来氷河期が訪れて海水の多くが凍ったら、海岸は大きく後退し、
今サンゴ礁である石西礁湖も干上がって、いちめん陸地になってしまうかもしれない



気も遠くなるような月日が過ぎ、何世紀もの年月が絶えることのない時の流れに溶けこんでしまっても、
サンゴ礁やマングローブの湿原は、誰も知らない未来に向かってつくられていくだろう。
しかし、それらが陸になるか、また海に戻っていくのかを決めるものは、
サンゴでもマングローブでもなく、海それ自身なのである。




だが人間は、宇宙から地球を眺めている傍観者ではない
地球の生態系の一部であり、計り知れない影響力を持っている

「海は今日も、干満のリズムをくり返している。しかし、海は喘いでいる。愛すべき小さな生きものたちの上に、
私たち人間は汚染というかつて経験したことのない過酷な条件を押し付けているのではないだろうか。
長い地球の歴史の中を、かれらは生き抜いてきた。
いま、人間が行ないつつある地球規模の汚染は、強靭なかれらの生命力をも、
回復不能なまでにいためつけてしまうかもしれない。」

と訳者の上遠恵子さんも警鐘を鳴らしている

カーソンの時代にはまだ想像もできなかったであろう、海のプラスチックゴミ
ノルウェー入り江に迷い込んだ病気のクジラ、胃の中はまるでゴミ箱。大量のプラスチックを発見
岸に戻ってきにくく、膨大な量が海に漂いたまっている可能性がある、細片化したマイクロプラスチック汚染
野生生物に異常をもたらす、化学物質の内分泌かく乱作用


プラスチックや日焼け止めの使用を全否定はできなくても、自然環境に影響のないようにすることはできないものだろうか…













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月の力

2017/06/13(Tue) 10:01
1年でいちばん小さくなる満月ストロベリームーンの日 ふと目覚めた午前四時の月の彩雲
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刻々と姿を変える雲から目が離せない
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満月のときは地下水位が上がっているので、地表面近くまで土が濡れて種が吸水を始めるらしい

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また、発芽するのに光を必要とする好光性種子(にんじんやバジルなど微細種子の多く)が必要としているのは月光で
月明かりのあるほうが発芽率が上がる
さらに月光には、種子を病気から守る力もあるらしい

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また、満月のときは太陽・地球・月という並び順になるので、月の引力と太陽の引力が均衡し
根が張りやすくなる
新月のときは太陽・月・地球という並び順になり、太陽と月が同じ方向に引っ張るため地表面に対する引力が強く、
根が張る前に芽がひょろひょろと伸びてしまいやすくなるとか

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収穫も同様で
葉野菜や根菜類は、作物の水分が葉に行き渡り、地表面に地下水が上がっている満月のときがよく
水分が減ったときのほうがおいしくなる果菜類は新月のときがいいらしい

そうはいっても、育ち具合や天気、気温、人間の都合が優先してしまうかなぁ…


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                    『無肥料栽培を実現する本』(岡本よりたか著/マガジンランド)







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漢字~東洋の血脈

2017/05/24(Wed) 17:09
台湾のMVを見ていると中国語の字幕が出る
中国語は聞いてもさっぱりわからないけど、並んだ漢字を見るとなんとなくイメージが伝わる
台湾に行ったときも、「なんちゃって筆談」でだいたい通じた

漢語はアジアの共通言語で、「文字文化を回復することが東洋の平和につながる」とおっしゃっていたのは
漢字学者の白川静さん

<平和と民主主義>白川静さん 野の心のまま志士のごとく憂え=2004年12月
(会員登録すれば、月数ぺージは無料で読める)

この記事、2004年にインタビューされたものだけど、今の時代にハマりまくり…当時よりもっと悪い状態になっている


「アジアが大ねじれにねじれているのは、日本が英米の侵略戦争のまねをして日清、日露以来、戦争を繰り返したからだ。~その戦争が終わって、一切はアメリカ式になった。」

「春秋の筆法で言えば、これを附庸(ふよう)という。属国のことだ。
同盟という言葉でごまかしているが、首都の近くの空港を彼らが使っておって、
首都の入り口の軍港を彼らが使っておって、こんな同盟がどこにありますか。
日本もアメリカに対して同じことをやっておれば同盟です。
実はつけたしの国、アメリカプラスワンです。極めて不名誉なことです。
都を攻め滅ぼされて、城下で講和を結ぶ、これを城下の盟(ちかい)といいます」



先生がこの世を去られてから11年、
属国の基地があちこちに造られつつあり、治安維持法まがいの法律がふたたび暗い影を落とそうとしていて、
戦争放棄をうたった憲法が変えられようとしていることをお知りになったらいかばかりか…


「かつて東アジアの世界は理念的にひとつであった。それを私は東洋と呼んでいる。
その血脈をなすものが漢字である。
それがいま、分裂している。政治の分裂がそのまま文化の分裂に反映している。
日本語も朝鮮語もベトナム語も、半分以上、漢語です。
統一した漢字を使えば、これは容易に意思疎通(注・本来の字は疏通)できる。
東洋を回復したい。古典が読めないのは歴史を切り断つことである。
そういうところでは本当の平和は生まれん。文字文化を回復することが東洋の平和につながる」

現在の漢字文化圏、本字は台湾のみ、日本は字数と音訓の用法を制限し、
中国大陸は略字、韓国はハングルが主流、ベトナムはローマ字化されている。
漢字文化圏の実態はかくもばらばらである。




先生がひとりでお書きになった辞書、気になる漢字に出合うと開いてみる
『白川静 常用字解』
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漢字の成り立ちがとてもおもしろい

上の表紙になっている字は「口」 
もとは神への祈りの文である祝詞を入れる器の形とか

また 「夏」 という字は、舞楽用の冠をつけ、両袖を振り、足を前に上げて舞う人の形からできた字
季節の名前の「なつ」の意味に使うのは春秋期以来で、いちばん古い使用法ではないとか
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ツイッターアカウント 白川静 @sizukashirakawa   もおすすめ~









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2003年から石垣島で暮らすプライベートブログ。
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