なうひあdiary

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わんこと私

2016/11/30(Wed) 09:28
母のアルバムから発掘してきた写真
豪徳寺にいた頃、近所の犬と   
大人の靴はいてるし
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ぺち
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こういう犬種多かったな
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祖父母のところにいたチェリーはコリーだった


斜め向かいにいた犬とは、よくじゃんけんをして遊んだ
前足をそろえたらグー、前後にずらしたらチョキ、開いたらパー


昭和のひとこま














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Downhearted

2016/11/26(Sat) 10:36
ジョンも行っちゃった

気落ちしてテンションが上がらない

海も山も森も、石垣じゅうジョンと歩いた

しばらくは、用事がなければどこへも行きたくない

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分断

2016/11/17(Thu) 10:22
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ビクトリア・ヒスロップの THE SUNRISE を読んだ

地中海周辺の歴史小説を書いているヒスロップだが、この小説の舞台はキプロス

地中海の要衝として紀元前1600年頃から交易都市として栄え、主にギリシャ人が住んでいた
1571年オスマン帝国に占領され、トルコ人も流入
オスマン帝国とイギリスとの取り引きにより
1914年イギリスがキプロスの併合を宣言、のちに直轄植民地 とした
イギリスはギリシャ系キプロス人とトルコ系キプロス人らを分断した政策を行なった

第二次大戦後、ギリシャ系とトルコ系の間で内戦が勃発
この、事実上はギリシャとトルコの代理戦争によって島は南北に分断され
人々は家や仕事、農場を失い、命を落とし、街は荒廃
住み慣れたふるさとを離れ、イギリスに移る人も多かった
そんな時代を生きたひとたちの物語

トルコ軍が侵攻して島が分断されたのは1974年だから
そんなに昔ではない

キプロスというとタックスヘイブンで潤っているイメージがあったけど
ギリシャ危機のあおりを受けて金融危機に陥り、オフショアの栄華は終焉している

美しいビーチやオレンジの果樹園が広がる自然豊かな島で
ギリシャ神話のビーナス生誕の地といわれ
ギリシャ正教の教会などモザイク画の遺跡も多く残っているとか

シリアしかり、南スーダンしかり、豊富な資源を狙う大国の植民地政策に振り回されるのは
いつもそこに住む無辜の人々だ

情勢が不安定で、いつまた内戦状態になってもおかしくない南スーダンに派遣され
駆けつけ警護の任務を負わされる自衛隊
命を賭けて守るのは南スーダンの人々ではなく
南スーダンの石油に手を伸ばす強欲な巨大資本企業の利権に他ならない
PKOの名のもとに、巨大資本企業の片棒を担がされている

強行採決を急ぐTPPも、得をするのはグローバルな巨大資本企業
国家の政策は1%の超富裕層に有利になるよう進められていく

1%にバックアップされていたヒラリーは負け
<1%に乗っ取られた政治>を批判していたトランプが勝った
トランプはTPP反対を唱え、巨大資本企業から一切資金提供を受けていないという

大統領就任後、巨大資本に懐柔されたオバマの二の舞となるか、ならないか?
それによって世界の方向性も大きく変わるのだろう

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グラサン・マジック

2016/11/16(Wed) 09:29
鹿角から田沢湖へと向かう341号は、八幡平ふもとの黄葉ロード
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気持ちのいい山道で、平日だからか車もほとんどいない
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雲ひとつない青空に映えるゴールデンリーフ
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カーブを曲がるたびに声をあげてしまうけど、この感動を共有してくれない同乗者
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「あんたサングラスしてるからよ」といわれてはずしてみると、確かに鮮やかさが半減
光が飛んでしまっている
「なんだぁ…」と思ったけど、写真にはそのとき見たのとほとんど変わらない色
玉川温泉ビジターセンターにちょっとだけ立ち寄って、天蓋の下に入ってみる
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こんな爽やかな秋の日に黄葉トレッキングできたらサイコーだろうなー
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岩盤浴で有名な玉川温泉は、もとは硫黄の採掘場だった
世界では二ヶ所のみ、台湾の北投温泉と、ここ玉川温泉にだけ存在する北投石を産出する
北投石は放射性のラジウムを大量に含む温泉沈殿物重晶石
末期がんに効くという噂が広まり、盗掘が後を絶たないらしい
天然石ショップでも、お風呂に入れる北投石や北投石ブレスレットが並んでいる








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どばんくん

2016/11/15(Tue) 09:14
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大湯環状列石から出土したキャラさんの元祖、どばんくん
四角いフォルムと目がどーもくんを髣髴とさせるけど、なんてったってこちらは4000年前ですから

素焼きのレプリカもある
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土版とは~

縄文晩期の呪術的な土製品
楕円形・長方形の版の両面に文様や人面が表現されている
土偶に共通した呪術具や護符と考えられる
ひもを通すような穴があいているものもある
東日本に分布



縄文の呪術具といえばまず土偶があげられるけど、
土偶をコンパクトに簡素化し、お守りとして携帯しやすいようにしたのが土版と考えられる

で、なにがユニークって、これは表裏の穴で数字を意味していると思われること

<表>
口→1
目→2
右乳房→3
左乳房→4
正中→5
<裏>
両耳→3+3=6

4000年前の遺物で数が刻まれているものは、世界にも例がないらしい

大きさがわかるように、インク瓶と並べてみた

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それぞれの数字を足すと、7、8、9、10…と6以上の数字も表せる
もしかして、電卓の元祖でもあったのかしら?

縄文の土偶や土器の文様は、知れば知るほど奥深くて興味深い
本を買い込みたくなって、あぶないあぶない







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自由と家族

2016/11/14(Mon) 13:52
旅行から帰ってきて、地元情報チェックのため石垣島ハブブログのサムネイル一覧を眺めていたら、
見覚えのある顔が… シロ !!
しかもステンレスのケージのなかにいる!
あわててクリックすると、石垣島ダイビングスクール ロコマイカイ さんのブログだった
写真は保健所で撮影されたもの  とうとうこの日がやってきたのか…

ブログでは、保健所で再会したところで話が「続く」になっていた
保健所の収容犬猫情報を開けてみると、シロはもう掲載されていない
いてもたってもいられずメールをすると
「無事ですよ、うちの庭にいますので、かまってやってください」と温かい返信が…

さっそく行ってみると、いましたいました
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洗ってもらって真っ白のシロ
立派な犬小屋、日よけ、芝生まで…
ずっと前からそこにいるみたいに、腹ばいになっちゃって

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近づいても微動だにせず…やっぱり目を合わせてはくれないけど、前足にふれても怒らない
自由犬でいたときは、ぜったい近寄らせてくれなかったけど、なんていうか、諦観してしまったというか

ほっとした反面、なんともいえない複雑な気持ちになった

思いのまま自由に好きなところへ行って、自分の頭で考えて生きていたシロ
雨の中、しっぽを立て、機嫌よさげな笑顔を浮かべてひとり軽快に走っていた
あの姿はもう見られないのだ

でも、この国では、自由犬でいることは許されない
こうして家庭の一員として迎えてくれるひとがいたのは、ほんとうに幸せなことなのだ
愛してくれる家族とともにいることの有難さを、シロもわかっているはず…と思う
(あ、今はコロという名前なんだった)

そのあたりのことは、シロを家族として受け入れてくれたロコマイカイさんもとっても考えてくれていて
ああ、めぐり合うべく人に迎えてもらったんだなあ、と思ったのだった

くわしくは、ロコマイカイさんのブログの 「石垣島野良犬物語」

私の過去記事 Homeless dogs

そして、自由犬だったころのシロはこちら  shiro

行動範囲が広くて、賢くて、用心深かった(なので、どういういきさつで捕まったのか、そこが知りたい)
今の時代、ある意味貴重だった

ものすごーく昔、世田谷をうろついていた“最後の野良犬”の姿を記録したドキュメンタリー番組を観たことがある
その後姿と重なる


























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大湯ストーンサークル

2016/11/11(Fri) 11:17
津軽からの帰り道は内陸を走ることにして、ずっと行ってみたかった大湯環状列石へ
大湯のストーンサークルは青森の三内丸山と並ぶ日本最大級の縄文遺跡
秋田県鹿角市は八幡平のふもとにあり、大小さまざま数千個の石が環状に配置されている

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中央に立石をおいた日時計があるのは野中堂環状列石
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道路をはさんで、万座環状列石
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これまでの発掘調査により、環状列石を構成する配石遺構は「配石墓」であり、
その集合体である環状列石は「集団墓」であることが判明

また、各々の環状列石を取り囲むように掘立柱建物、土坑、貯蔵穴、遺物廃棄域(もの送りの場)が
同心円状に広がっていることがわかった

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遺跡が発見された頃、周囲は畑だったが
発掘調査で判明した時代の地形を再現するため、畑を削って沢を、土を盛って丘を作り、当時はなかったスギを伐採
花粉分析で存在を確認したブナやミズナラなど16種類、約1000本を植えた

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縄文時代にも食用とされていたクリ
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隣接して建てられた体験学習施設「大湯ストーンサークル館」中庭には日時計のレプリカ
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館内には大量の出土品や模型などが展示されている
日時計の模型 東西南北に大きな丸石が配されて目印になっているのがよくわかる
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縄文後期前葉から中葉に作られた土器
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一般的には「十腰内式土器」と呼ばれるが、
花弁状の文様や、S字を横に連続して施文したものなどは「大湯式土器」とも呼ばれている
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環状列石が作られたこの時期は、土偶、キノコ形土製品、動物形土製品、足形付土版などの土製品や、
石棒、石刀などの石製品といった祭祀に関係するとみられる道具もたくさん作られた
土偶や足形付土版は子孫繁栄や子どもの成長を祈り、
キノコ形土製品、動物形土製品は豊作を祈り、感謝するマツリに使用されたものと考えられる

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これら周囲から出土した祭祀の遺物や、隣接する掘立柱建物などから
大湯環状列石は、野中堂環状列石、万座環状列石の2つの環状列石によって構成される「集団墓」であるとともに、
葬送儀礼や自然に対する畏敬の念を表す儀式を行った「祭祀施設」であったと考えられている

                          (大湯環状列石のウェブサイトより)


どれも4000年前に作られたと思うと感慨深いのだけど、なんともいえず感動してしまったのがミニチュア土器
おままごとやドールハウスに使うような、小さな鉢やマグカップが作られている
祭祀に使われたのだろうが、日本のお家芸、ミニチュア文化はこの時代からあったのだ

また、キティちゃんやふなっしーなどのキャラクター文化も、特に日本で花開き隆盛を極めているけれど
まさにゆるキャラそのものといってもいい出土品を発見♪

それについてはまた次回~








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べんがら

2016/11/10(Thu) 16:04
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やちむん館で行われた「風水土のしつらい展in八重山」でのワークショップ
「島の土から色をつくる染める」に参加してきた

島の土2種に、講師の 古色の美 ナカジマさんが持ってこられた土と合わせて3種類の土を使い、板締めで手ぬぐいを染めた
とってもカンタンにきれいな色が染められるのと、板締めのパターンから生まれる思いがけない模様が楽しい

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工程は四つ
①採取してきた土を乳鉢で擦って細かくし、焼いて好みの色にする
②水を加えて練り、さらに助剤を加えて乳化(エマルジョン)させ顔料をつくる
③下処理した布を折りたたんで板締めし、常温の顔料に浸して染める
④水気をたたきとり、乾かす

土から顔料をつくり、布の下処理さえしてしまえば、
草木染のように長時間煮出したりする必要もなく、あっという間に染まる
そして退行もせず、虫食いやカビたりもしなくなる

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そもそもべんがらとは~

土からとれる酸化鉄のことを「べんがら」(紅殻、弁柄)といい、インドのベンガル地方より伝来したのが語源とか
また、中国語で「べん」は乳棒、「がら」は乳鉢のことで、合わせて「べんがら」になる

べんがらは人類最古の顔料で、先史時代のラスコー、アルタミラ洞窟絵画や、縄文土器にも使われており
古墳に見られる石室に塗られた赤もべんがら

ナカジマさんは大阪、羽曳野市で1965年に社寺や日本家屋のベンガラ塗りとして創業
辺り一帯には御陵が多く、古えは土師(はじ: 古墳造営や葬送儀礼に関った氏族)の里だった
べんがらは防虫・防腐効果に優れ、紫外線から木材を保護する
千年たっても退行劣化しない
中国ではミイラを作るときにも使われた
酸化鉄は日焼け止めの原料でもあり、アフリカなどの部族が肌を赤く塗るのは
日焼けと感染を予防する意味がある
象が皮膚に土を塗るのと同じ



べんがらというとまっさきに思い浮かぶのは近江八幡のべんがら格子で
建築の塗りしか知らなかったけど
ナカジマさんのところでは研究の結果、繊維への染色を可能にし、
燃焼温度と調合により、赤以外に黄、黒、緑、紫などさまざまな色合いをつくりだした
すぐに染められる顔料や助剤はウェブサイトから購入でき、展示即売会やワークショップも各地で開催している

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そして技法だけでなく、赤い土に関しての非常に奥深く、根源的な話を聞くことができた

土に含まれる鉱物で赤くなるのは、水銀、鉛、鉄の三つ
水銀、鉛は毒物だが、鉄は無害
活断層の下にはこれらが圧縮されて眠っており、天然の磁場を形成している
この天然の磁場では、体が「よみがえる」つまり、健康増進効果があり
古代には不老不死に効果があると考えられた
中国の歴代皇帝は不老不死を願って水銀を飲み、それがもとで病気になったり命を落としたりもしている



弘法大師空海も唐でそのことを学び、帰国後、水銀(丹)が採れる土地を求め、高野山に寺を建てたといわれる

赤い土の磁場は、オーストラリアのエアーズロック、セドナ、ネイティブアメリカンの聖地など
各地でパワースポットとなっている
日本では伊勢神宮や三輪大社など、神社になっていることが多い

ひとにぎりの土には地球の人口以上のバクテリアがいるといわれ
肥えた土が放出する二酸化炭素ガスを植物が取り込んで、酸素に変える
そのため土と緑があるところは常に空気が再生され、生き物も健康に生きられる



そこでマイナスイオンについて調べてみると、

鉱物が発生する微小な電磁波は原子から電子を追い出す作用があり、マイナスイオンを作り出す
身体の細胞は、細胞膜を通して必要な栄養を取り込み、老廃物を排出しているが(この働きを選択的透過性という)
選択的透過性は血液中にプラスイオンが多いと低下し、マイナスイオンが多いと向上する
そのためマイナスイオンが多いと新陳代謝がよくなり、細胞の活性化、老化防止に役立つ
                (マイナスイオンとは  より )



「色が染まるという化学反応も、基本はプラスとマイナスの結合であり
すべてのものは振動しているのです」

と話は波動にまで及んでいったけど、ナカジマさんは染めの実技に入らねばならず、
それ以上掘り下げて話を聞くことができなかった

それでもパワースポットと磁場、波動に関するヒントをいただき、
ものすごくためになる、興味深いワークショップだった

島の土で色をつくり、晒を板締めで模様染めして浴衣をつくりたい













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十二湖

2016/11/08(Tue) 10:40
ローカル線の旅人気ナンバーワンの五能線沿いをドライブし、十二湖へ
黄葉は染まり始め
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ブルーインクの青池 
なぜこのように青いのかは、現代科学でも解明されていないらしい
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十二湖周辺で見られる鳥たちにアカショウビンが入っている 
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小鳥のさえずりはときたま聞こえるものの、姿は見えず
こんなに観光客がばんばんくる時間帯は無理よねー

青池よりかなり大きい鶏頭場の池
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紅葉がもっと進んだら、またきれいなんだろうな
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今回は熟年夫婦といっしょなので、往復20分コースしか歩かなかったけど
よさげなトレッキングコースの入口が誘っていた…

これから山に入る三人組 ガイドさんらしき人がストックの使い方を説明している

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いいなー、いつか歩くぞー










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奇跡のりんごを求める人々

2016/11/04(Fri) 10:28
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家族旅行二日目    旬のりんごが浮かぶ古代檜の温泉へ
息苦しいので窓を開けたら、離れていたところに浸かっていた若い女性二人組が寄ってきた
それまで中国語で会話していたのに、「暑いですね」と日本語堪能だ

今日はどこを回ってきたのかと聞くと、「りんご園」という
奇跡のりんごの、木村秋則さんのりんご園を探し、観光タクシーで走り回ったらしい
彼女たちが乗っていたタクシーの運転手さんは場所がわからなかったので電話で聞きまくり
りんご園の場所を知っている別のタクシーが先導して、2台で向かったのだという

やっとりんご園にたどり着いたものの木村さんは留守で、(もちろんアポなし突撃訪問)
出てきた娘さんに「あなたたちみたいな方がよくみえるんですよね」といわれ、当然奇跡のりんごも買えなかった
というのも来日したカナダ人の男友達が、「どうしても木村さんのりんご園が見たい」というので
急遽青森への旅行を決め、一泊でやってきたのだとか

二人は北京と遼寧省の出身で、学生のとき日本に留学し、そのまま日本で職を得て永住権も取得
今は横浜の中華街でチャイナドレスの仕事をしているという
横浜中華街は毎年母と行っている、というと
「じゃあぜひ友達のお店に来てー、王府井(ワンフーチン)という焼き小龍包のお店」
そして「これも縁だから」と、更衣室の手ふきペーパーに自分の携帯の番号を書いて渡してくれ
「ぜったい電話してください、案内しますから」とまでいってくれた
中華のひとは、アツイのだ

朝食後、ロビーでチャイナドレス姿の二人が中庭へ出て行くのをみかけた
二人ともめちゃくちゃスタイルよくて美しく、髪をアップにし、ばっちりお化粧をしてピンヒールでキメていた
自分たちがモデルになって、仕事用の写真を撮るのだろう
出るときには動きやすい旅行用の装いで、宿の前のりんご園の直売所にいた

木村さんがまだこんなに有名になる前、私が自然栽培の米と野菜の宅配をとっていた頃
一度だけ木村さんのりんごが送られてきたことがある
もちろん新鮮で、しゃきっとしておいしかったが、どちらかというと小ぶりで、特に普通のりんごと変わるところはなかった
当たり前だ、りんごだもの

それから「奇跡のりんご」というキャッチーなコピーで木村さんの本が出て、テレビに出て、
木村さんは一躍有名人になり、木村さんのりんごも手に入りにくくなった
どんどん値が上がり、香港では1個5万円で取り引きされたとも聞いた
奇跡のりんごバブル

でも、通常なら年間12回ほど消毒をしないと売り物にならない、というのが常識だったのに
13年間の試行錯誤の末に無農薬、無化学肥料栽培に成功したのだから
たしかに「奇跡」といっても過言ではない
失敗に失敗を重ね、絶望し自殺まで考えた木村さんの真摯な思いに応え、天から啓示が降りたのだ

木村さんは今、自然栽培の普及・啓蒙活動で全国を飛び回っているらしい
木村秋則オフィシャルホームページ

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これは母の近所の粟津農園さんのりんご
このあたりではいちばんいいりんごを育てると評判で、毎年晩成種のふじを送ってもらっているが
今回初めて農園を訪ねた
3万ヘクタールの果樹園には、りんご十数種のほか、ぶどう、洋梨なども植わっている

ちょうど早生種つがるの収穫をしたばかりで、キズものがあったので
保護キャップもつけない“ザラ”でかなりお安く送ってもらえることになった
キズものといってもちょっと形がわるいとか、プツっと突きあとや小さなアタリがあるだけで
鮮度と味はばつぐん
毎朝にんじんや小松菜などといっしょに絞り、ジュースにしていただいている
袋がけしない早生種は最後の消毒はしないらしいけど
農薬を落とす効果があるという重曹水に浸けてこすっている


昔母が飼っていた秋田犬レオの子供はりんご園にもらわれていき
りんごが大好物で、毎日まるごと1個かじって食べ、すごく元気で長生きだった

母の家の隣もりんご園なのだが、そこで買ったことはない
消毒が始まると、カメムシなどがわーっと母の家の庭に逃げてくるのだという







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えっちゃん

2016/11/03(Thu) 11:47
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姉のように思っていたともだちが旅立ってしまった
三年間、乳がんをわずらっていた
病院へは行かず、手術や化学療法、放射線療法もいっさい受けず、元気に過ごしていたけど
今年の夏ごろから腰が痛みはじめて、ふだんの生活が送りにくくなった
自宅に介護ベッドを入れ、ヘルパーさんや訪問医にも来てもらうことになったのが秋の初め
先月上京したとき、帰る日に会いに行こうとしたけど、私自身が朝から下痢嘔吐でダウンしてしまい行けなかった
でも私が上京した日にはホスピスに移っていて、行っても自宅にはいなかったのだと、帰ってから知った
4月に会ったのが最後になってしまった

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えっちゃんは、私が学生のときバイトをしていた下北沢のジャズ喫茶の先輩で
私が働き始めたときはもうバイトは卒業してビブロスという洋書店に勤めていた
池ノ上に住んでいた
えっちゃんの部屋にはゴクドウという黒猫が通ってきていて、机の下でお産をした
そのうちの一匹をもらって飛丸と名前をつけた

それからえっちゃんは洋書店をやめ、彼といっしょに逗子の一軒家へ移り、翻訳をはじめた
遊びに行くといつもおいしいご飯を出してくれた

でも数年後、彼とはさよならをして、イギリスへ渡った
ロンドンで翻訳をしながら数年暮らして、わくわくするような絵葉書を送ってきてくれた

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帰国後オーストラリア人の男性と結婚し、女の子が生まれた
娘の中耳炎がきっかけでホメオパシーと出会い、猛勉強をしてホメオパスになった

化学薬品に頼らず、みずからにそなわる自然治癒力を信じ
自然な方法で健康を維持し
自然に生きて自然に死ぬ

そういう生き方を研究し、実践し、まっとうしてこの世での修行を終え、次の世界へと踏み出していった

「自分の部屋で、ひっそりと孤独死するのが夢」といっていた
痛みがひどくなってホスピスに移ったけど、それもほんの二週間ほど
ぎりぎりまで普通の生活を送り、寝たきりが長引くのはごめんとばかり、あっさりと行ってしまった

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えっちゃんちに泊まりにいったとき、「ブログってどうやるの」と尋ねられ
いっしょにパソコンを見ながら登録をし、えっちゃんのブログがはじまった

えっちゃんは優秀な聞き手なので、話しているとついつい私の話になることが多かった
口で話すよりも、文章をつづるほうが性に合っていたらしく
ブログを始めたら、内に隠し持っていたさまざまなことを思いのままに表現しはじめた
長いつきあいの私ですら、「そんな一面があったの?」と驚くほどに

そして、いつも素敵な写真があった
最後までフィルムカメラにこだわり、現像した写真をスキャンして載せていた

えっちゃんのブログには、自然治癒力についてのさまざまな情報と深い思索があり
日々の生活のなかでの小さな喜びや発見、くすっと笑ってしまうようなボケがあり
乳がんを公表してからは、病とともに生きること、人生をどのようにまっとうするかについて
その正直な葛藤や奮闘や学びや気づきを、惜しみなく書き綴り共有してくれた
自分でキーボードを叩けなくなり、娘に打ってもらってまでも
最後の思いを言葉にして、メッセージにして、届けてくれた

遠く離れている私は、毎朝えっちゃんのプログを開ける
もしかしたら新しい記事がアップされていないかと期待して

でも、そこに立ち上がるのは最後の記事で、毎朝そのメッセージを読んでいる

要するに私がこのブログでずっと言いたかったのは、病気は不幸の素ではなく幸せの素だということです。
わたしはこの3年間の体験からそれを実感しました。
だから腹の底からこれを断言できます。
これは頭で考えた屁理屈ではありません。

だからみなさんも、いたずらに病気を恐れたり、忌み嫌ったりせずに、嬉々として病気になってください。
病気は天からの授かり物です。
天から授かった赤子を慈しむように病気を慈しみ大切に育ててください。
きっと大きな悦びが得られることでしょう。
ずっと伝えたかったこのメッセージが少しでもみなさんに伝わっていたら、こんなに嬉しいことはありません。



そんなえっちゃんのブログはこちら        pimboke6
ホメオパシーについてのウェブサイトはこちら  ホメオパシー情報

これからも、何回となくえっちゃんのブログやウェブサイトを開けて
素敵な写真をしみじみと味わい、記事を読むだろう
そのたびに新たな発見や励ましや安らぎがあって
すぐそこにえっちゃんがいることを感じるだろう


こうして文章にして自分に言い聞かせないとおろおろするばかりだから
今これを書いている
えっちゃんが宇宙の純粋意識へと還っていく今日













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111

2016/11/01(Tue) 12:33
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去年のハロウィンの翌日、111は、私が穴から出てきた日
気がつけばあれから一年  以前のことは、夢を見ていたのかと思うほど実感がない

ウェイトは、最初の三ヶ月で5kg減、次の半年で3kg減、その次の三ヶ月で2kg減
この一年で9kgの減量で、あと1kgが戻しきれていない

まあでも、5kg減らしたあとは食事もジョーさんと同じようにとっているし
1kgはちょっと食べたり飲んだりしたら変動する範囲だし
以前の衣服はすべて着られるし、BMI は21.1だから、もう特に気にしていない

111のぞろ目の日
2016年の今年もまた、別件で記念日となった

意図したわけではなくて、まったくたまたまで、昨日ハロウィン音楽祭を観ていてはじめてそのことに思い当たった
あ、明日はハロウィンの翌日で、11月1日なんだと

私の人生のなかで、2015年の111は大きな節目だったけど
2016年の111も、それにまけないほど大きな節目となった
去年の111には、想像もつかなかったことだ

でもノートを見ると、2016年の2月8日、旧正月の朝には、言葉にしてかなり具体的に書きしるしていた
それを書いたときには漠然とした希望だったのだけど
気がついたらすべてが現実になっていた

それについてはまた、おいおい書いていきたいと思う

あと、私が内地に行っている間に、港のシロにも大きな変化があった
そのこともまた追って書くつもりー












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