なうひあdiary

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浦ちゃんとゴーシュ、高橋一生

2017/03/02(Thu) 09:06
(『倍音~音・ことば・身体の文化誌』つづき)


誰もが共感できる普遍的な歌詞とメロディで大ヒットした 海の声 
作詞はあの三太郎CMの仕掛け人、電通のクリエイティブディレクターさん

空の声が 聞きたくて
風の声に 耳すませ
海の声が 知りたくて
君の声を 探してる

川のつぶやき 山のささやき
君の声のように 感じるんだ

海の声よ 風の声よ
空の声よ 太陽の声よ
川の声よ 山の声よ
僕の声を 乗せてゆけ 
  
                (海の声 より  歌詞抜書き)           



海、空、風、太陽、山、川…自然界のすべてを「声」として聞くのは、日本人ならとても自然なこと
鳥のさえずりを人の言葉に置き換える「聞きなし」や、虫の声や風鈴の音に「あはれ」を感じたり

それは日本人が、動物の鳴き声、自然の音などに、言語と同じ左脳で反応していて
論理、感情、自然といった観念が左脳でいっしょになっているから

というのは聞いたことがあったけど
なぜそうなのか、というさらに踏み込んだ理由が「倍音」に関わっていることをこの本で知った


日本語は母音優勢の言語で、日本人は子音と母音の組み合わせを常に使っている
子音同士の組み合わせがないため、音声構成が単純になり、同音語が多発する
それを区別するために音響は複雑になり、母音は子音に対し音響の幅が非常に広い
そのため音響的に異なったものの変化を聞き分けるようになる




そんな日本語が生まれたのは、さまざまな自然音に満ちた日本の豊かな自然環境にあるのだろう
夕立の音、こぬか雨の音、海鳴り、風が木々を揺らす音、葉ずれの音
それらを表すオノマトペ(ざんざん、しとしと、ごうごう、ひゅうひゅう、さらさらetc.…)が豊富なのも
日本にさまざまな色の名前があるのも同じこと

自然界が発する音は、ある程度のランダム性、ゆらぎを持った有機的な音で
主として<非整数次倍音>でできているらしい

その非整数次倍音には、可聴域にはない高周波の音もあり
高周波音は耳ではなく皮膚から脳に伝わる

超音波で位置を把握し交信するコウモリやフクロウ、イルカと同じことを
私たちも無意識にしているのだ
御蔵の海の中で、野生のイルカと至近距離で真正面から向き合い目が合ったとき、確かに感じるものがあった
イルカが発する超音波を、皮膚から感じたのだ


そうした皮膚から感じる可聴域外の音は
脳の基幹部を活性化し、生命維持に必要な免疫物質を分泌させ
ストレスを軽減し、快適さを増強し、リラックスできるといった効果がある




自然のなかにいると癒されるのは
空気がきれいとかいい香りがするとか、風が気持ちいいなどと同時に
耳では聞こえない音を肌で感じているからなのね
海に浮かんでいるときも、無数の生き物たちが奏でる耳には聞こえない音を、全身の肌で感じているのだ

耳では聞こえない、それはつまり、無意識下でのコミュニケーション
知らず知らずのうちに、膨大な情報を皮膚で自然から受け取っている
雰囲気などの抽象的なムードを「肌で感じる」というように、ちゃんと言葉にもなっている

同様に音楽を聴いたときも、可聴域のメロディやリズムのほかに、無意識下で膨大な情報を受け取っているのだとか


非言語性コミュニケーションは情報量が多く、
非明示的、非指示的、非象徴的、全体的、多面的、多層的、身体的、感情的、
描写・表現の幅が広い、奥が深い、擬音的、音響模倣的、同期的、
サブメッセージおよび無意識のメッセージを載せやすい

また、時空間、雰囲気の変化、感情の誘発、癒し、快感、親密性、
自己の境界の消失、言霊、音霊的感覚などが
二次的に招来されることもある




そこで『セロひきのゴーシュ

へたくそで楽団長からいじめられていたセロひきのゴーシュが
ひとりで真夜中までセロの練習をしていると
三毛猫やかっこう、狸、野ねずみなどが毎晩やってきて
やれトロイメライを弾けだの、ドレミファを教えろ、小太鼓と合わせろなどといい
しまいには病気を治せという
ゴーシュはそのたびにいやがって、口では意地悪をいったり怒ったりしながらもセロを弾き、
動物たちは大喜びして、病気も治ってしまう
そうこうしているうちに公演の日になり、アンコールがかかってゴーシュが指名される
ゴーシュはばかにされたと思い、やけくそで三毛猫に弾いた激しい曲「印度の虎狩」を演奏すると
大喝采を浴びる…という話


ゴーシュは言葉でじゃけんにしても、音楽では無意識のうちに動物たちを癒し、プラスの方向に導いている
そして同時にゴーシュも、動物たちによって音楽のレベル、無意識の心のレベルがあがっていく

言葉、意識下では酷いことを言っても、音楽、無意識下の部分においてはもっと深い所の人間性が出てくる
その方が、私たちにとっては重要な要素になっている
しかもコミュニケートすることにより、互いに音楽、無意識のレベルが上がっていくということを
宮沢賢治は私たちに言っていると考えられるのです




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TVドラマや映画を観ていても、言葉(台詞)では言わない思いがひしひし伝わってくると心打たれるのも同じかな
表情やしぐさでものをいう、非言語性コミュニケーション
最近の役者さんでそんな演技が印象的だなあと思うのは、高橋一生
あれもこれも見ているわけじゃないけど
『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』のときの運送屋さんとか
『直虎』の政次とか
言葉とうらはらな気持ちがとてもよく伝わってくる
そういうシナリオや演出もいい

逆にもったいないなあと思うのは、『精霊の守り人』
子供も観るからと配慮しているからか、台詞で説明しすぎじゃないかしら

人物に表裏がないと、表面的で「薄っぺらい」となる
倍音のない音のようなものだなぁ




倍音を聞いたとき、単に基音だけの時にくらべてはるかに多くの脳の部位が反応する
倍音により、多様な、目に見えないメッセージが発信される
それは非言語性の、サブメッセージの、無意識の領域のコミュニケーションとなる







思えば人と人だけでなく、人と動物、動物と動物も、言葉の論理性ではなく心で心を伝え
非言語性のコミュニケーションをしている

無意識の心そのもので心を伝えること、つまりそれってテレパシー?
直感や第6感も、世界が発する情報を無意識下で受け取っているということ
そんな声がちゃんと聞こえるように、いつも耳をすませていたい





















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