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なうひあdiary

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チビチリガマとシブクガマ

2005/12/24(Sat) 22:24
残波のメンバーの出身地、読谷村は、1945年4月1日、米軍が沖縄に初めて上陸したところ。

村人が避難した洞窟、チビチリガマとシムクガマの話を聞き、訪ねてみた。



住宅地とサトウキビ畑のすぐ隣、うっそうとした緑の茂みに囲まれて自然の洞窟が口をあけている。

チビチリガマは、避難した住民140名中、83名が集団自決し、命を落としたところ。

そのうちの約6割は18歳未満の子供たちだった。

「捕虜になったらひどい目にあって虐殺される。生きて虜囚の辱めを受けず、日本人として潔く死ね」という軍国教育の犠牲になったのだ。

現在は「お墓」として供養されていて、なかには骨や櫛などがいまも残っているという。

私たちが行くと、ほうきをもった初老の男性が上がってきた。

このガマの生き残りだという。ご親切にもうひとつのガマを案内してくれた。



すぐ近くのシムクガマには1000名が避難。

こちらではハワイ帰りの比嘉平治さん(当時72歳)と比嘉平三(当時63歳)さんが

「アメリカの兵隊は人殺さないよ。出ていって話を聞いてみよ~」と村人をなだめ、

全員が生きて助かったという。



軍国教育のデマと真実を知る人の存在が、明暗を分けたふたつのガマ。

今にも苦しむ人の呻きが聞こえてきそうだったチビチリガマに比べ、

「救命洞窟」と名付けられたシムクガマは明るく、すがすがしい空気が流れていた。



Image2.jpggama.jpg


           左はシムクガマの入り口、右はシムクガマの内部から。



img20051226.jpg


            シムクガマのすぐ上には、通称「ゾウの檻」楚辺通信所が。










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